祖父の旅立ちと、家族の魂のつながりを感じた時間

4月6日、浜松の祖父が静かに旅立ちました。
先月から急に弱り、医師からも「一か月以内」と告げられていたので覚悟はしていたのですが、知らせを受けた瞬間、胸の奥がふっと空洞になるような感覚がありました。
満90歳。
穏やかに息を引き取ったと聞き、祖父らしい優しい終わり方だったのだと思います。
魂が肉体を離れ、静かに次の世界へ帰っていく──そんなイメージが自然と浮かびました。

最後に会ったのは昨年10月末。
Go To トラベルを利用して家族で浜松を訪れたときでした。
「これが最後になるかもしれない」
そんな直感があって、帰り際に祖父の手をいつもより強く、何度も握りました。

あのときの祖父の目は、まっすぐ私を見ていて、
“ちゃんと受け取ったよ”

と言っているようでした。

葬儀場には、懐かしい写真がたくさん飾られていました。
見覚えのある写真も、知らなかった若い頃の祖父の姿もあって、
「こんな人生を歩んできたんだ」
と、祖父の魂の軌跡を辿るような時間でした。
明るくて、ユーモアがあって、いつも孫を笑わせてくれた祖父。
人生の教えも、たくさん聞かせてくれました。
祖父の家で過ごした思い出は、今も私の中で温かく息づいています。
祭壇を前にしても、まだ実感が湧きませんでした。
でも、お坊さんの言葉を聞いて、
「無理に実感しなくてもいい」
と思えました。
魂は肉体を離れても消えるわけではなく、自然へ還り、家族のそばに寄り添うものだから。

命は、思っている以上に儚く、あっけない。
だからこそ、忙しさに追われて大切なものを見失うより、
愛する人と豊かな時間を過ごすことが、何より大切なのだと改めて感じました。
コロナ禍での葬儀でしたが、思っていたよりも落ち着いて執り行われました。
私たちは浜名湖のホテルに一泊し、久しぶりの小さな旅のような時間も過ごしました。
温泉に入り、娘と露天風呂を楽しみ、翌日は浜松市動物園へ。

子どもたちと笑い合いながら歩く時間は、悲しみの中にも光を運んでくれました。

祖父がいなくなり、浜松へ行く機会も減るのかもしれません。
田舎がひとつ消えてしまったようで、少し寂しい気持ちになります。
でも、コロナが落ち着いたら、また浜松を訪れて、祖父との思い出の場所を巡りたいと思います。
これは、久しぶりに書いた日記。
そして、祖父の魂の旅立ちを静かに見送るための、私なりの儀式のような時間でした。



4 月 6 日,濱松的祖父靜靜地踏上了靈魂的旅程。
自上個月開始,他的身體突然衰弱,醫生也告知「大概一個月內」。雖然心裡早有準備,但真正接到消息的那一刻,胸口仍像被輕輕掏空了一樣。
祖父享年 90 歲。
聽說他走得很安詳,那樣的離去方式,非常符合他一生的溫柔與穩定。
彷彿靈魂只是悄悄地離開身體,回到更廣闊、更自由的世界。
最後一次見到祖父,是去年 10 月底。
那時我們利用 Go To 旅遊計畫,全家一起去濱松探望他。
心裡隱隱覺得「也許這會是最後一次」。
離開前,我比平常更用力、更長久地握著祖父的手。
他也直視著我的眼睛,那個眼神像是在說:「我知道,你的心意我都收下了。」
葬儀場裡擺滿了許多照片。
有熟悉的場景,也有我從未見過的祖父年輕時的模樣。
看著那些照片,我彷彿在回顧祖父靈魂走過的道路,感受到他一生的厚度與溫度。
祖父總是開朗、有幽默感,總能逗我們孫子們開心。
他也常分享人生的智慧與故事。
在祖父家的回憶,多得像數不完的星星。

面對祭壇時,我其實還沒有真實感。
但聽了法師的開示後,我明白了:
不需要強迫自己「感覺到」什麼。
因為靈魂離開肉體後,並不是消失,而是回到自然,回到我們看不見但能感受到的地方。
在紫微斗數中,祖先的德澤、家族的連結,會反映在「福德宮」與「父母宮」。
祖父對我來說,就是家族的根,是守護我們的力量。
能成為他的孫女,我真的覺得很幸福。
生命其實比我們想像的更短、更脆弱。
正因如此,比起忙碌到忽略身邊的人,
能與所愛之人共享豐富而溫暖的時間,才是最重要的事。
雖然是在疫情期間舉行葬禮,但整體比想像中順利而平靜。
我們在濱名湖的飯店住了一晚,久違地感受到小旅行般的輕鬆。
泡著溫泉、和女兒一起享受露天風呂,隔天還去了濱松市動物園。
孩子們的笑聲,讓悲傷的心也慢慢亮起來。
想到祖父不在了,以後去濱松的機會可能會變少,
心裡有種「故鄉少了一塊」的寂寞。
但等疫情完全平息後,我還是想再去濱松,
走走祖父曾在的地方,讓回憶再次流動。
這篇文章,是久違地提筆寫下的日記。
也是我用自己的方式,靜靜送祖父踏上靈魂旅程的一段心路。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次